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月別アーカイブ: 2025年11月

古美術門運孔のよもやま話~真贋の彼方へ~

古美術門運孔の更新担当の中西です

 

 

~真贋の彼方へ~

 

 

古美術の世界で避けて通れないテーマ――それが「真贋(しんがん)」です。
本物か、偽物か。
それをどう見極めるかは、長年の経験と感性が試される瞬間でもあります。
しかし、本当の“本物”とは、単に真作であることだけを意味しません。
そこには、作品に宿る「精神性」こそが問われるのです。


⚖️ 真贋とは何か

古美術の真贋判定は、時に曖昧で、答えがひとつではありません。
作家本人が手を入れたのか、工房の弟子が制作したのか、あるいは後年の模倣か。
たとえ後世の作でも、その作品が“時代の美意識”を正確に継承していれば、
それは「偽物」ではなく「文化の継承」として価値を持ちます。

つまり、“本物”とは単に「オリジナル」ではなく、
**「精神を受け継いだもの」**をも指すのです。
それを理解しているかどうかが、古美術商の力量と誇りを分けます。


鑑定の現場で求められる洞察力

実際の鑑定では、以下のような要素を総合的に見極めます。

  • 素材の質感(陶磁器の釉薬、紙の繊維、木材の年輪)

  • 技法の特徴(筆跡、彫り跡、焼き色)

  • 経年変化(汚れ方、光沢の深まり、金属の酸化具合)

  • 来歴(誰の手を経たか、箱書き・添状などの証拠)

しかし、最終的な判断を下すのは“経験に裏打ちされた感覚”です。
数字やデータではなく、作品と対話する中で「これは生きている」と感じ取る力。
それが本当の意味での“鑑識眼”なのです


時代が作る価値

面白いことに、今“贋作”とされている作品が、
100年後には「その時代の模写として貴重」と評価されることもあります。
美術の価値は、時代によって変化する。
だからこそ、古美術商は“今”だけの判断で作品を切り捨てることをしません。
歴史の流れの中で、いつか正しく評価される日が来る――
そう信じて、一つひとつの作品と向き合うのです。


まとめ

真贋とは、単なる“白黒”ではなく、“文化の層”を読み解く作業。
古美術商は探偵であり、哲学者でもあります。
目の前の作品が何を語り、どんな時代を映しているのか――
その声に耳を傾けることこそが、「本物」を見抜く第一歩です✨

古美術門運孔のよもやま話~時を越えて語りかけるもの⌛~

古美術門運孔の更新担当の中西です

 

 

~時を越えて語りかけるもの⌛~

 

 

古美術の世界に足を踏み入れた瞬間、誰もが感じる独特の空気。
静寂の中に漂う緊張感と、品物が放つ見えない気配。
そこには、人の手を離れてなお生き続ける“美の魂”があります🎨


🏺 古美術とは「時間を感じる芸術」

私たち古美術商が扱うもの――それは単なる“古い物”ではありません。
そこに刻まれた傷、色あせ、かすかな香り……
それらすべてが、時代を生き抜いた証であり、今を生きる私たちに「物の命」を教えてくれるのです。

たとえば、江戸期の茶碗。
一見すると素朴で、どこにでもありそうな器。
けれども、指先で縁をなぞると、微妙な歪みと土の柔らかさが伝わってくる。
それは、窯の中で炎が踊り、人の心が形をなした「一期一会の造形」なのです🔥


🧭 美術商の目が見ているもの

古美術商にとって大切なのは、「物を見る力」。
単に真贋を見抜くだけではなく、その作品が“どんな時代を生き、誰の手を渡ってきたのか”を感じ取る感性です。

たとえば、掛軸ひとつにも、
墨のにじみ・紙の質感・表具の癖・軸先の素材――それぞれが時代の息遣いを残しています。
私たちは顕微鏡で見るような視点ではなく、「時代を読む目」で作品を見ています👀


🌸 出会いは一期一会

古美術の仕事で最も心が震える瞬間――それは“出会い”です。
骨董市や旧家の蔵、あるいはお客様のご相談の中で、思いがけず出会う名品。
埃をかぶっていた一枚の屏風が、光を浴びた瞬間に息を吹き返す。
その瞬間、まるで時代の扉が開くような感覚があります。

古美術商にとって「仕入れ」は単なる取引ではなく、作品との対話。
「この作品を、次に誰の手に託すか」――その選択にこそ、商人としての責任と誇りがあります。


🌟 まとめ

古美術とは、“過去を売る”仕事ではなく、“時間をつなぐ”仕事
一点一点に宿る物語を未来へと橋渡しする――それが古美術商の使命です。
今日もまた、時を超えて語りかける品々と向き合いながら、
新たな出会いを求めて歩き続けています⌛✨